スイス・日本・人生

スイスで生活してわかったこと。それは「景色の美しさは、思っている以上の力を持っている」ということだ。今、日本で生活している。そうすると、字はスラスラ読め頭に入ってくる、日本食や薄切り肉など、買いたい食品が簡単に手に入る、宝塚が観られる、そう、勝手知ったる我が国、そのへんの事務的作業や趣味嗜好の点で、快適である。

スイスだと、字は読めない、言語わからずコミュニケーションたいへん、買いたい食品が少ない、土足文化ノーと、マイナス点が多いように思う。

しかし、それを補って余りあるのが、景色の美しさだ。家から徒歩5分で、雄大なアルプスを背後に、水面きらめくレマン湖を望めるのである。それでなくても、ただそのへんの道だけを比べても、うちの近所とは比べ物にならない美しさだ。重厚な建築、緑豊かな公園。そう、公園。公園もまた、うちの近所とは比べ物にならない。美しい芝生、工夫をこらした遊具、三輪車などを積んだ移動車が訪れ、乗り物や飲み物を無料で提供してくれるのだ。このへんは意識の差だろう。日本の公園の遊具は往々にして、「文句言われない程度に造りました」感がでている、気がする。例えば、近所の公園の遊具は、大量生産なのか、まったく同じ形状の、色の剥げた滑り台が無愛想に置かれている。スイスの公園では、「こんな遊具だったら楽しんでくれるかな」という遊び心を感じた。ピノキオを模した木造建物、小さな子でも利用できるかご形ブランコ、全方向から昇り降りできる滑り台、移動車が来るというサービスにみる「こどもが楽しめるように」という配慮は言わずもがなだ。その証拠に、スイスの公園では、うちのこどもは帰りたがらず、毎回帰るのに苦労した。日本の近所の公園では、帰ろうか、というと、さっさと帰ろうとする。ありがたいやら悲しいやら。

とにかく、風景が、建造物が、スイスは比べるまでもなく美しく、何というか「視界ストレスフリー」なのである。美しい景色、それだけで、日々は楽しくなるのである。同様に、くたびれた景色、それだけで、日々はくたびれるのである。スイス生活から学んだことは、そういうことだと思う今日このごろである。「美しい景色とともに生きたい」。